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東京地方裁判所 昭和47年(合わ)105号 判決

被告人 千葉正健

昭一五・四・一四生 無職

主文

被告人を懲役八年に処する。

未決勾留日数中一、一〇〇日を右の刑に算入する。

押収してある改造建設用びよう打銃(手製装薬銃)一丁(昭和四八年押第三六八号の一)、空包五発(同押号の三)、空薬きよう一個(同押号の四)、黒皮製拳銃ホルダー一個(同押号の五)、ハンマー一丁(同押号の六)、くり小刀一丁(同押号の七)および建設用びよう一本(同押号の九)を没収する。

訴訟費用は、証人山藤孝直に支給した分を除き、被告人の負担とする。

理由

(犯行に至るいきさつ、動機)

被告人は、昭和三四年春東京都立駒場高等学校を中退し、その後店員、バンドマンなどをして生計をたてるかたわら、同年秋ころから、夜間、中央労働学院で勉学していたが、そのころから、次第に、社会における諸々の矛盾を解決するには共産主義社会の実現以外にはありえず、その方法として武力革命以外にはないとの信念を抱くに至り、さらに、現在のように国民が武器を所持することが許されない状況の下では、これを独占している権力者の側からこれを奪取したうえ、これを用いていわゆるゲリラ闘争を展開するのが、革命実現のための最も適切な方法である、と確信するようになつた。

そこで、志を同じくする者に対し、右のような革命実現の方法が現実的であることを、自ら率先して示し、それにより、自己の革命思想の正当性を訴え、これに共鳴して武器奪取等の行動に及ぶ者が多数出現することを期待して、建設工事に広く使用されているびよう打銃を改造した手製装薬銃を用いることにより、警ら中の警察官から拳銃を奪取することを企てるに至つた。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、昭和四七年二月一五日午後六時二五分ころ、東京都新宿区西新宿六丁目一番一号警視庁新宿警察署北東角交差点付近において、同署勤務警視庁巡査田中静夫(当時二七歳)が制服姿で拳銃を携帯して警ら中であるのを認め、前記のような考えの下に同人から右拳銃を強取しようと決意し、国鉄新宿駅西口方向に向かう同巡査に、その約一〇メートルないし五メートル後方から、約四〇〇メートルの距離にわたり追従して、同日午後六時三五分ころ、同区西新宿一丁目四番七号先付近歩道上に至つた際、たまたま周囲に人影が見えない状態になつたとみるや、コンクリートに打ち込むのに使用する建設用びよう一本(長さ約八センチメートル、軸径約六・四ミリメートル、ネジ付、ネジ部分の直径約九ミリメートルのもの、昭和四八年押第三六八号の九)を装てんして携帯していた、建設用びよう打銃の銃身部分を改造した手製装薬銃(改造建設用びよう打銃)一丁(同押号の一)を左手に構え、ハンマー一丁(同押号の六)を右手に持つて、同巡査の背後約一メートルに接近し、同巡査の右肩部付近をねらい、前記ハンマーで右手製装薬銃の撃針部分をたたいて、前記びよう一本を発射し、同巡査の反抗を抑圧したうえ拳銃一丁を強取しようとしたが、右のびようをして、同巡査の右側胸部を貫通させたものの、同巡査の反抗を抑圧するに至らず、これを見た被告人が射殺または逮捕されるのを恐れて逃走したため、右強取の目的を遂げなかつたが、その際右暴行により、同巡査に対し、加療約五週間を要する右側胸部貫通銃創の傷害を負わせ、さらに、右のびようが同巡査の身体を貫通した後、たまたま同巡査の約三〇メートル右前方、道路反対側の、同区西新宿一丁目五番一号小田急ハルク前歩道上を通行していた銀行員河野信三(当時二三歳)の背部にも、これを命中させて、同人の腹部を貫通させ、よつて同人に対し、入院加療約二か月間を要する右腎臓の摘出および肝臓損傷を伴なう腹部貫通銃創の傷害を負わせ、もつてそれぞれ強盗の機会において人を傷害し、

第二、同日午後六時三五分ころ、同区西新宿一丁目四番七号先付近道路上において、

(一)  法定の除外事由がないのに、前記手製装薬銃(改造建設用びよう打銃)一丁(前同押号の一)を、黒皮製拳銃ホルダー(同押号の五)に入れて、所持し、

(二)  法定の除外事由がないのに、空包五発(同押号の三)を所持し、

(三)  業務その他正当な理由がないのに、刃体の長さ約一二・一センチメートルのくり小刀一丁(同押号の七)を携帯した。

(証拠の標目)(略)

(強盗殺人未遂の各訴因につき殺意を認定しなかつた理由)

判示第一の事実にかかる各訴因の要旨は、被告人は、田中静夫巡査を殺害してその拳銃を奪取することを決意するとともに、手製装薬銃を発射すれば、通行人など同巡査以外の者を殺傷するかも知れないことを知りながら、あえてこれを認容し、判示第一の犯行を行なつた、というのであり、検察官は、被告人には田中巡査に対する関係で、装薬銃を用いた犯行であること、同巡査の背後至近距離からその上体をねらつてこれを発射していること、失敗すれば被告人自体が射殺されるものと考えていたこと、警察官を敵と観念していたことなどを理由に、確定的故意があつたと主張し、河野信三に対する関係では、現場付近には当時かなりの通行人が存在していたこと、および被告人が右河野が通行していたのを認識していたことを理由に、同人に対する関係でも未必的殺意があつたと主張する。

(一)  そこでまず、田中巡査に対する殺意の点について検討すると、被告人は、現行犯として逮捕された三日後に犯行の概要につき自白したが、その際に作成された前掲の司法警察員に対する供述調書において、同巡査の背後から、約五メートルの間隔を走るようにして近づき、その右肩をねらつて撃つた旨、すでに供述し、その理由についても、警察官を殺すことなくその右腕を制圧して拳銃を奪取するためには右肩をねらつて撃つのがよいと考えた旨述べており、当公判廷においても、右肩をねらつたのは、田中巡査の拳銃携帯状況から同人が右ききであると判断したためであると述べて、同趣旨の供述を繰り返すとともに、同巡査の背後約一メートルの地点まで接近し右肩の骨付近をねらつて発射したと述べ、もし殺意があつたならば頭部や心臓部をねらつて撃つたであろうと供述して、殺意を否認している。

ところで、荻原嘉光作成の前掲鑑定書および第四回公判調書中同証人の供述部分によれば、本件装薬銃の物体貫通能力は通常の拳銃よりも強力であることが認められ、また被告人の当公判廷における供述によれば、被告人は事前に発射訓練をし、また、びよう打銃は堅固なコンクリートに対し使用されるものであることを認識していたことが認められるから、その物体貫通能力が強力なものであることにつき被告人は十分認識していたものと認められるのであるが、他方、第七回公判調書中証人佐々木忠則の供述部分によれば、装薬銃発射音を聞いた際の田中巡査と被告人との距離は極めて近接していたことが認められること、および前掲昭和四七年三月六日付実況見分調書によれば、被告人は装薬銃発射の際の田中巡査との距離につき、約一・〇五メートルの地点を指示した旨の記載があることに照し、被告人が当公判廷において供述しているとおり、田中巡査の背後約一メートルの地点で右装薬銃を発射したものと認められ、被告人がこれを構えて発射したことを考慮すると、その銃口と田中巡査との距離は、五〇ないし六〇センチメートル前後しかなかつたものと認めるのが相当であり、また、前掲写真撮影報告書によれば、発射されたびようは同巡査の右側胸部をかすめるに近い部位を右斜め前、やや下方に向けて貫通している事実が認められる。そうすると、歩行中の田中巡査に対し、その背後に迫りつつ、装薬銃の撃針をハンマーでたたくという不安定な方法でこれを発射する場合には、客観的にみて、右のような至近距離から発射しても、なお、ねらいがはずれて前記部位を貫通することは十分ありうるというべきであるうえ、被告人が特に同巡査の右肩付近をねらつたとする理由として述べているところも、拳銃奪取の目的との関係で一応首肯しうるものであることを考慮すると、上体一般をねらつたのではなく右肩付近をねらつたとの被告人の弁解を覆すに足る証拠はないといわなければならない。

ところで背後から狙撃する場合、もし確定的故意があれば、頭部、心臓部その他身体の枢要部をねらうのが通常であると解され、また、これらの部位をねらうことに格別困難はないことに照らせば、前記のとおり右肩付近をねらつたと認定することになる以上、確定的故意があつたとは到底認めることができないというべきである。なお、被告人が失敗すれば射殺されると考えていたことは被告人の司法警察員に対する供述調書および当公判廷における供述により認められるが、これは反抗抑圧に万一失敗した場合を想定して述べているのであり、失敗することを恐れての供述とはみがたいのであり、また被告人が一般的に警察官を敵視していたことは、その思想的立場から窺われるところであるが、これらの点が直ちに田中巡査に対する殺意にまでつながるものとは認めがたい。

さらに未必的故意については、前記のとおり、被告人が本件装薬銃の物体貫通能力が強力であることにつき認識していたと認められることや、びようの直径などに照らし、被告人には、本件装薬銃が身体に重大な損傷を与えうるものであることの認識は十分あつたというべきであるが、右肩付近は上体の一部ではあつても、上肢に近く、必ずしも身体の枢要部とは観念されないことからすれば、被告人がことさら右肩付近をねらつたことは死の結果発生についての認容を欠くことを窺わせるものと解する余地のあること、至近距離からの発射であり、ねらつた部位からそれて身体の枢要部等に命中する可能性のあることまで認識し、これを認容していたともいいがたいこと、また確実に右肩付近を撃てるものと思つていたとの被告人の当公判廷における供述などをもあわせ考慮すると、田中巡査に対する未必的殺意があつたと認めるについては、なお合理的疑いをさしはさむ余地があるものと認めるのが相当である。

したがつて、田中巡査に対する強盗殺人未遂の訴因については、殺意の点において証明が十分でないことに帰し、強盗傷人罪が成立するにとどまるものと認める。

(二)  次に、河野信三に対する殺意の点につき検討すると、前掲関係証拠を総合すれば、犯行の時点において、犯行現場付近は通行人もごくまばらであり、自動車の往来もなく、駐車中の車両も少なかつたことが認められるのであり、被告人も付近に通行人がいない状態が生じたと考えたからこそ、拳銃奪取が成功するものと考え本件犯行を敢行したものと認められ、また河野信三も犯行直前に左方から被告人の前方道路に現われたのであつて、被告人はその時点では田中巡査の動向に注意を集中して、右河野の存在に気づいていなかつた疑いも濃く、したがつて同人を含む通行人らに対し、未必的殺意をも含め何らかの危害が及ぶかもしれないことの認識および認容を欠き、これらの者に対する暴行の未必的故意もなかつたと認めるのが相当である。

(なお、前掲関係証拠によれば、同所は国鉄新宿駅西口に近く、また商店も多数存在している場所であり、いつ何時通行人らが前方に現われるかもしれない場所であり、前方を注意深く確認すれば河野ら、二、三の通行人の存在に気づきえたのであつて、通行人が前方に存在し、または出現することは十分予見可能であつたのであり、かような場所で本件のような装薬銃を発射することによりこれらの者に危害の及ぶことがありうることの予見も十分可能であつたと認められる。したがつて、このような場所では右装薬銃を発射してはならず、また敢えて発射するにしても、通行人が射程範囲内に存在せず、また出現することがないことを慎重に確認したうえでなければ前方に向けて発射してはならない注意義務が少なくともあるにもかかわらず、これを怠つて、漫然と本件装薬銃を発射したものであることは明らかであるから、右河野の傷害の結果につき被告人に過失があつたといわなければならない。)

以上のように、右河野に対する強盗殺人未遂の訴因についても、殺意の点において証明がないことに帰するが、強盗傷人罪が成立することについては後記説示のとおりである。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為中、田中静夫および河野信三に対する各強盗傷人の点は、それぞれ刑法二四〇条前段、判示第二の所為中、(一)の点は、銃砲刀剣類所持等取締法三一条の三第一号、 三条一項に、同(三)の点は、同法三二条二号、 二二条、同(二)の点は、火薬類取締法五九条二号、 二一条に各該当するところ、判示第一は一個の行為で二個の罪名に、判示第二は一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、それぞれにつき、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪とし、判示第一については犯情が重いと認める判示田中静夫に対する罪の刑、判示第二については最も重い同(一)の銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪の刑により、各処断することとし、判示第一の罪につき所定刑中有期懲役刑を、判示第二の罪につき所定刑中懲役刑を各選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、重い判示第一の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期範囲内で、被告人を主文の刑に処し、同法二一条を適用して主文のとおり未決勾留日数を右の刑に算入し、押収してある(1)改造建設用びよう打銃(手製装薬銃)一丁(前同押号の一)、空薬きよう一個(同押号の四)、ハンマー一丁(同押号の六)および建設用びよう一本(同押号の九)はいずれも判示第一の犯行の用に供したもの、黒皮製拳銃ホルダー一個(同押号の五)は判示第二(一)の犯行の用に供したもの、(2)空包五発(同押号の三)は判示第二(二)の犯罪行為を組成したもの、くり小刀一丁(同押号の七)は判示第二(三)の犯罪行為を組成したもので、以上いずれも被告人以外の所有に属しないものと認められるから、(1)の各押収物については同法一九条一項二号、 二項により、(2)の各押収物については同条一項一号、 二項により、いずれもこれを没収することとし、訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文により、証人山藤孝直に支給した分を除き被告人に負担させることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

一、弁護人らは、河野信三に対する傷害の結果については、被告人は無罪であると主張し、その理由として、本件は、被告人には田中巡査に対する故意しかなく、意図された結果が田中巡査に発生し、さらに全く予期しない河野に対する傷害の結果をも併発した場合であるが、かように意図した結果と同時に全く予期しない結果が発生した場合には、いわゆる方法の錯誤を理由として予期しない結果について故意責任を問うことは許されず、したがつて河野に対しては故意犯は成立しない、と主張する。

しかし、まず刑法二四〇条の法意が、強盗の機会にしばしば死傷という重大な結果が生じ易い事実にかんがみ、これに対し重罰をもつて臨むこととしている点にあることを考慮すれば、強盗行為(事後強盗にあたる行為をも含む。)の直接の相手方に対する致死傷の結果に限らず、その際、犯行の手段、態様等を含めた犯行の具体的状況の下において、通常致死傷の結果が発生することがありうると予想される者につき、少なくとも強盗の手段である暴行・脅迫行為から直接に発生した致死傷の結果についても、その結果発生につき過失が認められる限り、本条の適用があると解するのが相当である。すなわち、通常の結果的加重犯(たとえば監禁致傷、強姦致傷等)においては、加重責任は、実行行為の直接の相手方との関係でのみ成立すると解されるのに対し、本条においては、直接の相手方にとどまらず、右の限度においてその他の者についても、強盗の機会に致死傷の結果が生ずれば、その結果発生につき過失が認められる限り、これをも処罰の対象としているものというべきであり、したがつて、本条は単に結果的加重犯であるにとどまらず、強盗罪と故意または過失による死傷の罪との結合犯とみるべき性格をもあわせ有するものと解するのが相当である。

これを本件についてみるのに、強力な発射機能と殺傷能力をもつ本件のような装薬銃を用いて公道上で強盗行為に及ぶ場合には、公道上に通行人が存在することは通常の状況であるから、かような装薬銃を反抗抑圧の手段として発射することにより通行人を巻き添えにし、これらに対し致死傷の結果を生じさせることは、しばしばありうることであつて、通行人に対する致死傷の結果は通常予想されるところといわなければならず、本件において、通行人である河野に発生した傷害は、田中巡査の反抗を抑圧する手段として発射されたびようにより生じたもので、かかる結果については、すでに認定したように、被告人には暴行の故意は未必的にせよこれを認めえないが過失があつたことは明らかであるから、強盗の機会において発生した過失による傷害として本条による処罰の対象に含まれると解すべきであり、したがつて河野に対しても強盗致傷罪が成立するものといわなければならない。

のみならず、仮に本条の罪が成立するためには少なくとも当該被害者に対する暴行の故意を要するとの前提に立つとしても、特定の客体に対する故意による実行行為の結果、これと異なる全く予期しない客体に対し、右故意の内容に含まれる結果が発生した場合には、意図した客体に結果が発生したと否とにかかわらず、予期しない客体に発生した結果についても右の故意犯が成立するとしているのが大審院以来の判例であり(方法の錯誤につき、予期しない客体についてのみ結果が発生した事例として、大審院大正六年一二月一四日判決、刑録二三輯一、三六二頁、最高裁判所昭和二四年六月一六日判決、判例体系三〇巻一、〇一一頁等多数。二重に結果が発生した場合につき、大審院昭和八年八月三〇日判決、刑集一二巻一、四四五頁、東京高等裁判所昭和二五年一〇月三〇日判決、高等裁判所刑事判決特報一四号三頁。)、当裁判所も、これに従うのを相当と当するが、ただ、その結果発生が予見不可能な場合には、責任主義の見地から方法の錯誤を理由とする故意犯は成立しないものと解するのが相当である。そうすると、本件において河野に生じた傷害の結果については、田中巡査に対する傷害の故意が認められるうえ、前記のとおりかかる結果発生は予見可能であつたことが認められるから、傷害罪の成立は明らかであるが、さらに田中巡査に対する強盗の目的意思まで含めた故意犯が直ちに成立するものと解すべきではなく、傷害の結果発生を予期していなかつた対象である河野信三に対しても強盗の故意を有する場合は格別、これを有しない本件においては、予期しない対象に発生した傷害の結果自体についての故意犯である傷害罪(殺意がある場合は殺人未遂罪)が本来成立するにとどまるものと解するのが相当である。ただ本件においては、前記認定のとおり河野に対する行為が強盗の機会において発生した傷害として刑法二四〇条の処罰の対象となりうるものであり、さらに右のとおり故意の傷害罪が成立するものと解される結果、同条の罪が成立するためには少なくとも当該被害者に対する暴行の故意を要するとしても、強盗犯人がその機会に傷害罪を犯したことになり、したがつて強盗傷人罪が成立することになると解するのが相当である。

弁護人は、前掲の判例等の事案はいずれも未必の故意を認定しえた場合であると主張するが、仮にそうだとすれば、直接未必の故意を理由として故意犯の成立を認めたはずであり、わざわざ方法の錯誤を論ずるまでもないのであるから、当該具体的事案において未必の故意の認定が困難であつた事例と思われるのみならず、判例は方法の錯誤の場合につき、前記のとおり、全く意識しない客体の上に構成要件的に包含される結果が発生した場合であつても故意犯の成立を認める旨明言しているのである。そして、同一の構成要件の範囲内で、方法の錯誤により予期しない客体の上に結果が発生した場合については、周知のように、学説上、予期しない客体の上に発生した結果につき故意犯の成立を否定するいわゆる具体的符合説と、これを肯定するいわゆる法定的符合説との対立があり、判例の大勢はその理論的根拠として後説を採用していると認められるところ、法定的符合説は、発生した結果が表象した内容と同一の構成要件にあたる場合には、構成要件的には故意に基づく行為と評価し、故意犯の成立を認めるのが妥当であるとの価値判断に立脚するものであり、あくまでも、発生した結果が構成要件的に抽象化された故意の内容に含まれるか否かがその理論的核心をなすのである。この点に照らせば、予期しない客体についての故意犯の成否の判断基準を、結果発生についての予見の有無、結果発生を予期していなかつた客体の存在についての認識の有無、または未必の故意を認定しうるような客観的状況の存否などに求めることは、相当ではないというべきであり、したがつて、判例が全く意識しない客体の上に結果が発生した場合についても故意が阻却されないと判示しているのも、右のような理論的帰結を示すものにほかならず、これを単なる傍論とみるのは妥当でないと解される(ただし、前にも述べたように、結果発生が予見不可能な場合まで故意を阻却しないと解するのは責任主義の見地から相当でないと考える。)。

さらに、意図した客体に対し何らの結果も発生せず未遂に終わつたとき、たまたま方法の錯誤により予期しない客体に対し構成要件的に包含される結果が発生したからといつて、他に何らの結果も発生しなかつた場合と同様、意図した客体についても未遂犯の成立を認めるべきであり、予期しない客体に結果が発生したことが、意図した客体についての故意未遂犯の成立を否定することにはならないと解するのが相当である。けだし、方法の錯誤の場合には犯罪の対象となつた客体が複数存在する結果になり、しかも保護法益はそれぞれ別個に成立しうることを考慮するならば、保護法益ごとに独立に犯罪が成立すると解するのが合理的であるからである。したがつて、検察官は、右の場合において、意図した客体についての未遂罪のみを起訴するのも、予期しない客体についての罪のみを起訴するのも、双方共起訴するのも、その裁量に属するものというべきである。そのように解すると、本件のように二重に結果が発生した場合についても、それぞれ別個に故意犯が成立するものと解するのが合理的であり、両者は一個の行為で二個の罪名に触れる場合として観念的競合の関係に立つと解するのが相当であるから、二重に結果が発生した場合についての前記判例の立場は理論的にも正当として支持されるべきものである。

以上の理由により、河野信三に対する傷害の結果についても強盗傷人罪が成立するというべきであるから、弁護人らの右主張は採用しない。

二、次に弁護人らおよび被告人は、本来国民は圧政を行なう政府に対しては、武器をもつて戦う権利、すなわち革命権を有するのであるが、それにもかかわらず、我国においては武器の所持が不当にも禁じられているのであるから、革命の準備として武器奪取に及ぶことは正当であり、またゲリラ闘争の必然性を明らかにするために本件行為に及んだものであるから、本件行為は革命権の行使として正当である旨主張するが、かような権利は我国の実定法上規定されていないばかりか、憲法の保障する民主的諸制度がたてまえどおり運用され、国民の政治的諸権利が保障されていることが認められる以上、現在の政治を圧政と信ずる者があれば、平和的な表現等の手段によりそれを改める努力をすべきであり、暴力的手段により自己の政治的意思を実現することは、内容のいかんをとわず許されないのであるから、右の主張は採用できない。

(量刑の理由)

本件犯行は、強力な殺傷能力を有する兇器を携帯し、これを用いて街頭で警察官から拳銃を強奪しようとしたものであり、当初から重大な傷害を伴なうことを予想してなされた計画的かつ危険性の高い行為であるばかりでなく、現実にも警察官および巻き添えにされた通行人河野信三に対し、いずれも判示のような重傷を負わせ、ことに河野に対する傷害は右側の腎臓摘出手術を伴なう、一命を奪いかねない重傷であるうえ後遺症を残すものであり、また、これらの者に対する被害弁償等慰藉の方法が全く講じられていないことなどの点にかんがみれば、本件の行為および結果はまことに重大であるといわなければならない。

本件は、被告人の抱懐する政治的思想・信念が正当であると確信し、かつ自己の政治的思想が現実的なものであることを訴えることを主たる目的としてなされた行為であり、動機において、通常の利欲犯など純然たる破廉恥犯とは、性質を異にする面も存するが、他面暴力でもつて民主主義制度を破壊することにつながる行為については国民は寛容であることはできないのであるから、確信犯としての行為であることの故をもつて直ちに有利な情状と解するのは相当ではない。

しかし、拳銃奪取の点が未遂に終わつたこと、それとともに被告人の意図した目的も実現されなかつたと解されること、犯行が失敗に帰したと知るや、それ以上執拗な攻撃を加えていないこと、河野信三に対する強盗傷人の点は被告人の全く予期しなかつたところであること、田中巡査に対する傷害の点も犯行手段と対比すれば幸いにも比較的軽いものにとどまつたこと、公判段階においても途中から再び犯行を認め、被害者両名に対し遺憾の念を有する旨法廷で供述していること、昭和四三年に業務上過失傷害罪により罰金一五、〇〇〇円に処せられた外前科前歴がないことなど、被告人に有利な事情も認められるので、そのほか被告人の家庭の状況等諸般の事情をも考慮したうえ、被告人を主文程度の刑に処することはやむをえないものと認めた。

(裁判官 鬼塚賢太郎 小出錞一 和田朝治)

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